『新説日本左翼史』(池上彰・佐藤優)から
(1)
しばらく前に1968年から50年目を迎えることになるというので左翼の現在と未来についての議論が起こるだろうと言われた。そういう期待があったというべきかもしれない。1968年は新左翼が主軸となって反戦闘争や大学闘争が頂点にあった時期だからである。1968年新宿での反戦闘争は60年代の反戦闘争の頂点であったし、1969年初めの東大安田講堂の攻防戦は大学闘争(全共闘運動)の最後というべき位置にあった。そして、その後は内ゲバや連合赤軍事件もあり、
左翼運動は衰退を余儀なくされ現在に至ってきた。だから、50年を経てこの時期の闘争があらためて対象化されるだろうという期待と願望があった。この期待は『続・全共闘白書』などとなってあらわれたが、未完のものというべきものでしかなかった。僕も自分の主宰している雑誌(『流砂』)に「左翼は再生されるのだろうか」という一文を書いたが、納得がいったものを書けたとは思えなかった。総括〈対象化〉の方法も含めた再検討がいるということを痛切に感じながら、現在にいたっている。
『新説日本左翼史』は戦後(1945年)から1960年安保闘争までの戦後左翼史を対象にしていて、1960年代を主導した新左翼は次に扱われることになっているのだが、日本の左翼史を歴史的な射程で総括しょうとしていて、とても興味を引かれた。僕は1968年の事件を念頭に置きながら、新左翼の総括を試みていた時に、これは伝統的左翼(新左翼に対する旧左翼の総称)の総括を含めなければならない、と思っていたこともあるからかもしれない。この本の表題とでもいうように掲げられている「『左翼』は何を達成し、なぜ失敗したのか」という事を明瞭にすることは自分もなすべきことだと思っている。左翼の言説は概ねリベラルな言説に変動しているのが現状だが、他方で共産党(伝統的左翼)も中核派も革マル派(新左翼)も残っている。佐藤はそれらがよみがえるかもしれないことを懸念している。悲劇的な事態を演じた左翼が同じことを繰り返すかもしれないという懸念であるが、僕はそういうことはないと思っている。左翼を存在せしめた現実の矛盾とそれをただそうとする運動は現実に存在している。反体制や反国家権力の運動は、規模はともかく存在しており、それが左翼的なのものの存続を可能にしている。だからと言って、左翼的な存在がかつてのように蘇り、ヘゲモニー(主導権)をにぎることはないと思う。伝統的左翼も、新左翼もその思想(理念)はかつての運動の中で試されたのであり、その中で無効がいいわたされたのであり、思想的には死に体としてあるのが現状であるからだ。思想(理念)は意識的に解体され、再生されなければ甦ることはないし、伝統的左翼も新左翼も組織を保持している面々にはそのような思想力があるとは思えないからである。左翼が限界というか、無効性を刻印された事態を超えていくには、左翼的なものを存在せしめた歴史(近代)の総括が必要だし、その中での自己解体と再生の営みが不可欠である。これは現在の存在し、未来において広がることが予測される現状に反抗する反体制、反国家権力の運動に理論構成と言語表現を与えることになろう。若い世代の白井聰や斎藤幸平の登場はそういう一つだが、新左翼も含めて伝統的左翼の言説とは別のところに位置していることはたしかである。
(2)
この本は1945年(終戦)の年から1960年安保闘争までの左翼の歴史を扱っているのだが、それまでは日本共産党と日本社会党が大きな位置を左翼の中で占めていた。1960年安保闘争を契機に新左翼といわれるものが登場し、やがては大きな位置をしめる。伝統的左翼として共産党と日本社会党は戦後の左翼として大きな位置をしめるが、これは1920年代30年代にかけて最盛期にあった戦前の左翼の復活版と言えなくはない。大正末期から昭和のはじめにかけて左翼運動は全盛期にあったが、これは戦争への足音の中で消されるか、沈黙を余儀なくされた。この左翼は敗戦を契機に復活した。これは戦争を主導した右翼や保守が政治的力を失ったからである。敗戦において日本は国体の護持を条件にしたが、これは国内での旧体制派の支配を目論むものであったが、敗戦が和平派によって推進されたように、戦時期に主導力を持っていた政治家は力を失ってもいたのである。戦争期に抑え込まれていた左翼は敗戦期に復活するのである。
日本共産党は戦前に獄につながれていた人たち(徳田球一や志賀義雄や宮本顕治ら)が復活をさせる。これにはおもしろいエピソードがあり、アメリカ軍が彼らを解放したということであり、もしもこれが日本人の手でなされたのであれば、その後の共産党は違った存在になっていたかも知れないということである。事実、本書での書かれているように日本共産党はアメリカ占領軍を解放軍として規定し、その後の混迷の要因にもなる。アメリカ占領軍は初期占領政策として、非軍事化と民主化を柱にして、農地改革や憲法改正などを行う。戦後改革である。これは日本の戦争態勢と戦ったアメリカ軍が勝利の結果として押し付けて来たものであるし、ある意味では敗戦革命としてやるべきことを取り上げたものだともいえる。このアメリカの初期占領政策は変更され、日本の最軍備や憲法改正の要求になる。また、日本の官僚支配を通じた天皇の利用も明確になった。日本共産党が戦後の初期に取ったアメリカ軍の占領軍規定は謎に満ちてはいるが、フアシズム政権を枢軸とする国と戦った連合国が戦後を支配する体制となったことを考えれば、不思議ではなかったと言える。戦後の世界体制は戦勝国の世界体制であり、冷戦が激化をしなければ、米ソは対立的ではなかったとすれば、アメリカ占領軍の政策を共産党が支持する必然はあったからである。このことは日本共産党が戦後における独自の国家構想を持ち得ていなかったことを意味する。よく話題になる憲法改正時に憲法9条に反対したことがある。国家は自衛の軍持つことは当たり前のこととして反対した日本共産党は戦力保持を禁じる憲法9条に反対したのだ。これは戦争と国家についての日本共産党の考えを代表していたのである。憲法9条は誰が発案したか今でも話題になるが、戦争についての方向を提示していた。これに対する日本共産党の態度は彼等の戦争観を示すのであるが、戦争についての敗戦が提示してものへの日本共産党のあり様を示していたと言える。
(3)
敗戦がもたらした大きな問題は占領軍による国家支配(統治)であるが、日本国民にとっての問題はどのような国家統治体制を取るかという事であり、その中心には戦争に対する対応があった、何故なら、敗戦までの日本は戦争を国家の中心において、国家体制を構築してきたからである。俗に「富国強兵」政策といわれるが、強兵こそが中心にあったのである。国体という統治体制も戦争を軸にした体制から生まれたのである。この国家のあり方に敗戦は疑念を生みださせたのであり、「こういう戦争は嫌だという」意識を広範に生んだのである。国民にはアメリカ占領軍の日本統治(支配)よりも戦争の方向が重要だったのである。このことはアメリカの占領政策の一つとして日本の非軍事化(憲法9条)が国民に支持され、存続してきた理由である。戦争を中心に置かない国家は可能かという問題が、この時に浮上したのである。国家の中心に戦争を置かない、国家は可能かというこの問題は敗戦国としての日本国民を強く支配した事柄であったが、戦勝国が構想した戦後国家とはズレのあるものだった。何故なら、戦勝国はファシズムや帝国主義の戦争には反対であったが、戦争そのものには反対ではなかったからだ。
戦後の左翼はかつての日本の戦争とその下での統治体制で壊滅するほどの強圧を受けたのだが、戦後はこの体制への批判から復活した。今は、読売新聞の統率者である渡邊恒雄が戦後に日本共産党に入り活動したことはよく知られている。彼は戦争と軍部の独裁体制に反抗したのである。このことはかつての特攻隊員であった若者が共産党(左翼)に身を投じたことと同じである。しかし、復活した左翼(日本共産党や日本社会党)には戦前に革命を志向して活動した歴史がある。日本共産党は講座派として、日本社会党は労農派として活動し、戦前は獄につながれた、沈黙を余儀なくされた面々がいた。彼らが日本共産党や社会党の中心にいたのである。日本共産党の面々は先に紹介したのであるが、日本社会党には山川均や向坂逸郎などがいた。この本では講座派や労農派のことが詳しく紹介されているが、最近の若い人たちには参考になることかもしれない。
かつて戦前に革命運動の活動家としてあり、戦後に復活した面々にとって、また彼らが指導した日本共産党や日本社会党にとって、戦争についての態度をどう決めたかは最大の問題だった。というのは戦争に対する国民の意識こそが、戦後の左翼の基盤であり、それを生かしたものだったからだ。しかし、戦前に革命運動の展開者であり、戦後に指導的役割を果たした面々の戦争についての考え(理念)には曖昧というか、限界があったのではないのだろうか。もっと端的にいえば、戦争についての国民の意識と彼等の理論や言語表現には誤差があり、国民の意識に基盤を持ちながらそれを生かしきれなかった要因ではないだろうか。
(4)
戦後の日本はともかく戦後のアメリカ占領軍の非軍事化と民主化という方針を受け入れ出発した。戦後の日本の支配層はそれを受け入れながら、それを批判する動きを生み出した。それは戦争を国家の主権的なものとして復権させる動きであり、民主化を行きすぎとして修正させようとする動きである。この本でも言われて歴史の逆コースである。これにはアメリカ占領軍の非軍事化と民主化の修正が背景にあった。戦後の15年(1945年の敗戦から、1960年の安保闘争までは)はアメリカ軍の占領軍の戦後改革の修正の動きが顕著だった。憲法改正は中心に置かれていたが、戦争の復権と統治体制の国家主義化である。これは保守派や右翼の動きと言ってよかったのであるが、左翼はそれらに対する反対闘争を展開した。この反体制的、反国家権力の運動は国家権力の暴走を防ぐという意味でその役割を果たしたと言える。
それならば、戦後の左翼であった、日本共産党や日本社会党はどうだったのだろうか。日本共産党にはアメリカ軍解放軍規定から1952年の軍事路路線にたる紆余屈性があるが、彼等の革命政党としての出自から規定された革命理念が現実に試されることでその空想性と非現実性が露呈してく歴史だったように思う。彼らはその歴史に向かい合わないできたと思えるが、そこに悲劇性があるように思う。二段階戦略をはじめとする革命戦略が非現実的で空想的だったのである。戦争について、自由と民主主義について本当に向かい合うのではなく、彼等の革命思想がそれらの前で破綻していく歴史だったように思う。にもかかわらず日本共産党は生き延びている。その秘密は理念よりも人々の反抗的、反逆的な意識によりそう、そこから離れないという反体制、反権力運動の伝統から身に着けた知恵にあるのではないのか。ここは注目してみておくべきところだ。
日本社会党には「反戦平和」というこの評価が与えられているが、これは妥当な事のように思う。反戦平和というのは多分に曖昧なところが含まれている。だからこれは非戦と言いかえうべきであり、戦争をしないとか、反戦争を明瞭にさせないとかの問題が含まれてはいたが、戦後のある時期に日本社会党がぎりぎりの所まで「反戦平和」ということを貫いたことは評価して置いていいことだと思う。本書は誰も顧みようとしない戦後左翼を取り上げているのは貴重なことだが、やはり左翼といえば1960年以降の新左翼にことが重要だ。次の本を期待したい。
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