『主権いない国』(白井聰)の提起するもの

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 オリンピックは開催されるのであろうか。森喜郎(元首相で2020年東京オリンピックの大会委員長)の女性蔑視発言は内部(開催に関わる関係者)からの中止や見直し発言へのけん制でもあったのだが、これが遺りの遺産として功をそうしているのか、IOCの理事や評議員などから見直や中止の声はあがってはいない。さすがにアストリート(競技者や選手)から声が出てはじめている。政府は「国民の安全と安心」を第一に考えるというわけのわからない答弁で逃げを打って誤魔化している。オリンピックはお祭りであり、それをやる国民の気持ちというか、気分が一番大事なのだが、それが冷えているというか、失せてきている。オリンピックはその根本条件が失われているのであり、中止にすべきだ。これが常識というか、多くの人が考えていることだろうと思う。開催とも中止とも見えないままに、日々が推移して行く中で、事態はどうなっているのだという苛立ちというか、不満の声は国民に浸透している。国民はこれが我が国の政治であり、社会だからなぁ、と諦め気分で冷ややかに事態の推移を見守っているのだろうか。物事はなるようにしかならない、あるいはなるようになるのであろうと、みているだけなのだろうか。

 いつも、戦争の事が人々の意識に浮上する。続行とも中止とも決断のつかないままにずるずると敗戦まで引きの延ばされて行った戦争のことが想起されるのだ。肝心な時に政治的判断というか、決断ができない。決断主体の不在を含めてである。これは統治、つまりは政治の不在である。もっと正確にいえば、慣習や権威によってなされる統治、政治的な決定や判断が権威や慣習でなされることという政治しか存在しないというべきかもしれない。伝統的な統治(政治)は必要な時に機能しない。戦争はそれを想起さる歴史経験であるが、僕らは現在の社会の動向の中でそれを見ることを強いられているのだ。これを「統治の崩壊」にまで至った政治状態としているのが白井聰の『主権者のいない国』である。

問題が発見されれば、解決は半ばついたに等しいとはレーニンの名言だったが、いつの場合でも問題を発見することは難しいし、それが難関である。この本は

現在の日本の国家、あるいは政治の問題を鋭く摘出している。安倍政権が続いたほぼこの10年の政治を中心にした分析によって、問題をえぐりだしてといる。現在の政治状況に対して、いったいどうなっているのだ、政治状況を打ち破って行く道はあるのか、という自問自答にヒントを与えてくれるものがこの著作には豊富にある。

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この本は序章の「未来のために想起せよ」から、終章の「なぜ私たちは主権者であろうとしないのか」までに5章をはさんで構成されているが、戦後日本の政治を「戦後の国体」の継続としてとらえる視点で貫かれている。国体と言えば戦前は、日本の国家の形態として、ナショナリズムの色彩を帯びて主張されたものである。これは敗戦とともにどこかに屑箱に押しやられ、国体という言葉は体躯大会を指す言葉として残っているに過ぎない。日本が戦争(太平洋戦争)の降伏条件として国体の護持を掲げていたことはよく知られているし、戦後のある時期には国体は変更したのか、どうかの議論もあった。日本の戦後はかつての国体はどこへ行ったのか不明なままに、どうなったかもあきらかにならない中で言葉だけは消えてしまった。そいう観がするとでもいえようか。

この国体について白井は『永続敗北論』(2013年)や『国体論 菊と星条旗』(2018年)などで、敗戦で断絶したかに思われてきた国体の継続というか、存在を指摘してきた。国体というのは国柄、いうなら国家の形をさすものである。それは統治形態、いうなら政治形態でいいのであるが、この指標によって複雑で錯綜していた戦後の日本の政治を分析し、方向性を与えてきたといえる。

 この国体については第三章の「新・国体論」のところで詳しいのであるが、本書の特筆すべきところは安倍晋三が長期に渡って政権の座にあったこの十年の政治状況を分析しているところである。冒頭があの東日本大震災の想起からはじまっているが、彼は特に福島第一原発の事故から深い衝撃を受けながら、「つまるところ、3・11が暴いたのは、『戦後の日本あの戦争への後悔と反省にたって築かれてきた』という公式見史観の虚偽性だった。私たちの社会が本当に後悔・反省しているのなら、『無責任の体系』は克服されていなければならない。しかし、現実には、それは社会のど真ん中で生き延びたことを3・11は明らかにした」(『主権者のいない国』序章)と記している。

 3・11の福島第一原発事故の衝動の中で、東電や政府や原子力ムラは無責任な対応をするのだろうと多くの人が思った。敗戦での軍部や戦争遂行主体が取った同じことが今度もおこなわれるのだろうと推測した。事実、この10年の過程をみれば推測通りのことが行われてきた。それは僕が例証としてあげるまでもないことである。この事故の衝撃の中で戦後の日本社会は何であったかという疑念を含めてみようという人は多かったと思うが、著者は公式史観の虚偽性の2発覚という言葉であらわしているが。共感できるとことである。

戦争の反省の上に出発して築かれた社会ということは虚偽であり、日本人はあの戦争での敗北を本当のところで認めていなくて、「敗戦の否認」という歴史意識にあるからだという。あの戦争で人々が持った「あんな戦争は嫌だ」という意識は戦後社会に大きな力を持ち、憲法9条の存続に寄与してきた。これは、戦争への反省が戦後社会に与えて来た力であり、そのことを誰も否認はしえない。しかし、そのことが戦争への反省と否認に至ったのかというと多くの疑念が出て来るということも否定できない。戦争の後悔と反省の上に平和で民主的な国家体制が築かれてきたという公式史観が虚偽に満ちたものであること、擬制的なものであったことは明瞭であるからだ。人々が志向したことと実現したことには違いがある。

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 3・11が暴いたものというだけではなく、日本社会は戦前から変わってはいないのではないかということは多くの場面で僕らが感ずるものだし、多くの事件などにおいて戦前への回帰が語られることはある。戦争前に似て来た、似ていると言われることは多い。オリンピックの存続が決められない、あるいは開催か中止かへの議論が公開で明らかになって行く事態も見えないことのなかで、そのことを僕は先のところで指摘した。この作者は国体の継続、あるいは再生としてそれを語る。「『国体』とはそもそもなんであったか。明治レジームが発明した国体とは、『万世一系の天皇を中心とする国家体制』、より端的にいえば日本国は天皇を頂点に戴く『家族』のような共同体であるとする観念だった。それによれば、おおいなる父たる天皇は臣民≒国民を『赤子』としているのであって、しはいしているのではない、とされた・しかし、国家が国家である以上は支配の機構である。つまりは、支配の事実を否認する支配であるところに、国家観念の際立った特徴があった」(『主権者のいない国』第三章。「新、国体論」)

 国体の規定は難しく、戦前に天皇機関説を批判して国体の明徴化を叫んだ当人たちもそれを上手く説明できないものだった。天皇制ファシズムの理念と言われても説明のされきれない代物だった。国体とはつまるところ天皇の統治ということになるのであるが、この統治とは「権威のよる統治」ということである。天皇という権威に政治意志(自己意志)を委ねる、別の言葉でいれば隷属することである。隷属する精神形態の対象は天皇であり、それは神のようなものである。  

この隷属する精神は自立的、いうなら自由や民主的な精神の対極にあるものである。自発的な隷属という意味では支配と被支配という形態を隠すものであるが、こういう関係で成り立つ共同体の構造が国体にほかならなったのである。自立的な、自由で民主的な意識(意志)によって築かれる国家形態はそれと対立するものである。「慣習や権威による統治、政治」は共同体の統治の事であり、国家という最上の共同体から、社会的な団体に存在するものであり、その運営ということである。こういう統治形態の対極にあるものは自由や民主的なものによる統治ということになるが、「議論による統治」というのはそのために生まれた形態の一つである。

 日本の近代国家はなぜに国体を必要としたかというと、天皇を法的中枢に沿えたかという事と関係する謎めいたところがあるが、戦争と軍隊の統治ということにその秘密は存在したように思う。軍隊の統治には権威による統治を不可欠にした要因があったのである。

これについてはここでは言及しないが、敗戦によってこの天皇統治の変更が余儀なくされてことは言うまでもない。敗戦が統治形態(国民との社会契約)の変更を要求されることは必然であるからだ。国家間戦争は統治形態をめぐる戦いであるからだが、敗戦国がその統治形態の変更を余儀なくされるのは不可避なことである・

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 日本は敗戦によって国体は変更を余儀なくされた。これは天皇が法的中枢からは排除されたからであり、天皇が統治主体から象徴に変ったからである。だから公式史観としても変ったとされてきたのである。著者は変更されたかに見える国体は天皇統治からアメリカ統治に、つまりは権威(隷属の対象が)が天皇からアメリカに変っただけで、それは存続しているという。権威と隷属、自立的な意志(自由で民主的な意志)が不在という点でそれは認められことといえる。アメリカ占領軍は天皇統治の解体を促す声に包まれていたが、占領のために天皇を利用することを考えたし、天皇は皇統の存続のためにそれに応じた。国体の一番中心である権威(天皇)と隷属する国民という関係。いうなら精神形態は残されたのである。

逆にいえば、敗戦革命としてやらなければならなかった自由で民主的な、言うなら自立した意識(精神)の登場は放置されたままだったし、むしろ抑圧されてきた。敗戦後に戦争と軍部の独裁的所業に対する反発は多くの人を敗戦革命に向かわせた。1960年の安保闘争に始まる反権力・反体制の闘いはその最後の姿と言って良かった。それが敗北史としてしかなかったことは、自由で民主的な意志(少し政治的にいえば主権)の登場は未完のままに終わってきたのである。

その裏で国体は存続してきたのである。

 確かに戦後の反権力と反体制の運動は戦後の国体ということに闘いを挑み、その変革を目ざしてきたことは言うまでもないが、その中で反アメリカ、つまり反米という事は色々の形で主張され、それは現在もある。これは戦後の日本共産党のアメリカの帝国主義支配からの植民地解放というものから、江藤淳の戦後改革(戦後憲法批判)まである。アメリカが対等な日米関係(独立した関係)という偽装の下に、占領の継続ともいうべき日米関係が継続していることはあらためて言うまでもないことである。ただ、これまで、反米という理念や方向性が曖昧であったことも論をまたない。この問題はアメリカの戦後支配というものが、直接的な支配というよりは、日本の支配構造(国体という統治構造)を媒介にしていて、反米愛国的な形では闘いの方向も曖昧なままだという事がある。この日本の政治形態(統治形態)、つまり権威と隷属を変える自由と民主制の登場、いうなら主権の登場ということが、アメリカ支配から脱する道である。アメリカに自発的に隷属する日本の支配層の存在は天皇に隷属する支配層の姿であり、継続である。主権に基盤を持たない支配層は天皇という権威に依存したのであり、天皇をアメリカに変えたのだ。主権の登場によって、統治構造(政治構造)が変わること、変えることがアメリカ支配からの脱却ということでは不可欠である。アメリカの戦後支配を許してきたのは戦後の日本の政治構造にあり、そこを変えることが大事なのである。アメリカに自発的に隷属する日本の官僚を変えていくことの重要さもそこにある。この本は現在の日本の政治を考える時、ヒントになる知見というか、示唆に富むものが多い。コロナ禍で本を読む時間も増えた今、是非、読んで欲しいものだ。

大本柏分苑

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