仇敵は恩人
~第八十一巻(天祥地瑞申の巻)に学ぶ~
〔令和3年7月21日 藤井盛〕
御歳暮を持ってきた叔母の顔を見て驚いた。息子の三億円の借金返済のため、お金を借りようと何度も我が家に足を運んでいたころの険しい表情が消えていた。優しく穏やかな顔になっていた。
叔母の夫、つまり叔父が亡くなった時、私はうつ病で入院中で葬儀には参列できなかった。また、病が癒えるまでに三年半を要したが、私の代わりに葬儀に参列した妻も三年前に他界した。みなそれぞれに人生は穏やかではない。叔母の顔の変化に驚いた私は、叔父の仏前にお参りするため叔母の自宅を訪ねた。今から八年前の平成二十五年一月頃だったと思う。
叔母の話を聞いた。三億円の借金を負わした人に、叔母は会いに行ったのだという。それはお礼を言うためで「私を信仰の道に導いてくれたのは、借金を負わしてくれた人のお陰だ」と。
叔母の子、つまりいとこに会社の合併を持ち掛け、三億円の借金を負わした本人は逃げて会えなかったが、その父親に会えたのだという。家も財産もすべて失ったにもかかわらず、叔母は、自分を法華経に導いてくれた恩人だと感謝を言うために訪ねて行ったのである。
〇アヅミ王が得た信仰的境地
この叔母の話に通じるものが、霊界物語第八十一巻(天祥地瑞申の巻)のアヅミ王の物語にある。自分を窮地に追い込んだ仇敵を恨まず、かえって、自己の信仰的境地を開いてくれた恩人として大事にするという点である。
イドムの国のアヅミ王が川で禊ぎをしていると、自分の国に侵略した隣国サール国の王エールスが、半死半生で流れて来る。国を奪われ、恨みに満ちた妻や家来たちはこれを打ち殺そうとするが、アヅミ王は同じ神の子として許すのである。加えて、自分の信仰の至らざるが故と反省するのである。
待て暫(しば)しエールス王も主の神の貴(うず)の御子なりたゞに許せよ 〔第五章「心の禊」以下同じ〕
吾御魂神に離れし罪なればエールス王を怨むに及ばじ
流れて来たこのエールス王は、実は神鉾の神の化身である。アヅミ王の信仰は高い境地にあり、神の御試しに見事かなうことができたのである。
なお、本物のエールス王は勝利におごり高ぶり、侵略から一月後に妻や配下の裏切りにより滅びる。また、欲深い妻たちも悲惨な最期を迎え、さらに王子も亡くなり一族は滅びる。
ただ、アヅミ王の信仰心が一気にここまで高まったのではない。まず、国を奪われたのは、主の大神への信仰を怠ったことが原因だと気づくのがスタートである。そして、主の大神を斎く神殿を造営することとなる。
主の神の守りなければ国津神の力に国の治まるべしやは 〔第二章「月光山」以下同じ〕
今日よりは月光山の頂に主の大神の宮居造らむ
また、遷座式での祝詞は真剣である。
上下(しょうか)共に驕りの心を戒め、火、水、土の恵を悟らしめ、大御神の大御心に叶ひ奉るべく 〔第四章「遷座式」以下同じ〕
神殿が鳴動した後、主の大神や高鉾の神、神鉾の神が降臨される。そしてアヅミ王に対して、言霊と心の汚れに対する戒めがあった。
この国は生(いく)言霊の死せる国神の助けのあらぬ国ぞや
刈菰(かりごも)と乱れはてたる此の国も汝れが心の汚れし故ぞや
肝向ふ心の鬼を退ふべき誠の力は真言(まこと)なるぞや
こうしたお示しを受けた後に、エールス王に化身した神鉾の神が流れて来るのである。そして、御試しに叶ったアヅミ王はお誉めの歌をいただくのである。
美しきアヅミの王の魂を主の大神は諾(うべな)ひ給へり 〔第五章「心の禊」〕
さて私は、叔母の話を聞いてすぐに感化された。「私を病に至らしめた人も、実は私の恩人に違いない」。すぐに会いに行った。
「藤井君が本庁から出先に出たのが、わしゃあ不審じゃった」
「防府市の災害の時、私を叱咤激励したから具合が悪くなったんですよ」
「おお、そうかあ」
本日からちょうど十二年前の平成二十一年七月二十一日、山口県を死者二十二名の豪雨災害が襲った。当時私は五十一歳で、記者会見担当であった。十日間まともに寝させてもらえない中、多くの人の前でこの方にワアワアやられた。そして私は病になった。ポストの降格を余儀なくされ、出先で閑職を過ごすこととなった。
とうとう「悪かった」とは言われなかったが、私のことを心配されていた。この方らしくこう付け加えられた。
「ええか、何かあったら、わしに言うてくるんど」
話すうち、三年半抱いていた理不尽さと恨みがさっと消えた。
人にこの話をすると「あの人によく会いに行ったものだ」とよく言われた。しかし、不思議なことだが、直接会いに行って三年半の恨みが跡形もなく消えてしまったのである。人を恨むことは、自分自身を苦しめることである。苦しみがさっと消えた。
その後妻が他界した時、私は妻を詠んだ歌集を作って多くの人々に送ったが、一番丁寧な手紙をいただいたのはこの方である。電話をすると「うちの女房も泣いてからのお」と言ってもらった。以前はよく可愛がってもらった方である。人間関係を元に戻すことができた。
〇チンリウ姫の過酷な試練
第八十一巻の後半は、アヅミ王の娘チンリウ姫が被る過酷な試練の話である。乳母の裏切りにより、あわや死なんとするところを大神に救われている。
チンリウ姫は、乳母アララギとともに隣国サールの国に捕虜となる。サール国の太子エームスはチンリウ姫に恋慕し、結婚を望む。アララギは、チンリウ姫が太子の妻となることを妬ましく思い、チンリウ姫をだまして、我が子可愛さでセンリウを太子の妃とする。
そして、そのすり替えの発覚を防ぐため、満潮になれば沈む島にチンリウ姫を流してしまう。島で姫は耳をそがれ、膝まで水に没するほどのまさに絶対絶命の憂き目に会う。そこに、大神の化身の大亀が現れて姫は救われる。
そこで、はじめてチンリウ姫は、贋チンリウ姫となったセンリウのお陰で、自分の操(みさお)を守ることができたことに気づく。センリウを憐れみ、また、アララギも憎まないこととした。チンリウ姫にとってアララギ親子は恩人であった。
外国(とつくに)の仇の王(こきし)の妻となるセンリウ姫は憐れなりけり 〔第一六章「亀神の救ひ」以下同じ〕
吾霊魂(みたま)身体(からたま)共に汚さるる真際を救ひし彼なりにけり
かく思へばアララギとても憎まれじ吾操(みさを)をば守りたる彼
○愛と誇りが残る
チンリウ姫は、没する島に流されるという過酷な状況に追い込まれているが、第二次弾圧事件で大本もまた、逃れ得ない過酷な状態にあった。出口王仁三郎聖師は、公判において高野裁判長と禅問答をされている。
「人間より虎の方が力が強いから逃げようと後を見せると、直ぐ跳びかかって来て噛み殺される。はむかって行ったらくわえて振られたらモウそれきりです。ジッとしていても、そのうち虎が腹が減って来ると喰殺されてしまう。どちらにしても助からないのです」
「ところが一つだけ生きる途があります。それは何かというと、喰われては駄目だ、こちらから喰わしてやらねばなりません。喰われたら後に何も残らんが、自分の方から喰わしてやれば後に愛と誇りとが残る。その愛と誇りを残すのが、宗教家としての生きる道だ」
〔出口榮二著『大本教事件』二二九頁〕
愛と誇りを残すという言葉に裁判長が感化されたのか、治安維持法は無罪になった。一方、出口聖師は、大胆にも当局を獣の虎にたとえておられる。大本神諭の「今は獣の世、われよしの強いもの勝ちの悪魔ばかりの世」という獣である。獣に与(くみ)することはないなと裁判長を牽制されたのだろうか。
ところで、多くの宗教団体が戦争に協力する中、大本は弾圧下で戦争に協力しなかった。その恩人は弾圧した当局となる。
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