素盞嗚命(スサノオ)の食制の改革
肉食のみを滋養物として、神国固有の穀菜を度外する人間の性情は、日に月に惨酷性を帯び来り、終には生物一般に対する愛情を失ひ、利己主義となり、かつ獣欲益々旺盛となり、不倫不道徳の人非人となつてしまう。虎や狼や、獅子なぞの獰猛なるは常に動物を常食とするからである。牛馬や象の如くに、体躯は巨大なりと雖も、極めて温順なるは、生物を食はず、草食または穀食の影響である。故に肉食する人間の心情は、無慈悲にして、世人は死なうが、倒れやうが、凍て居らうが、そんな事には毫末も介意せない。只々自分のみの都合をはかり、食色の欲の外天理も、人道も、忠孝の大義も弁知せない様に成つて了ふのである。斯う云ふ人間が、日に月に殖ゑれば殖ゑる程、世界は一方に、不平不満を抱くものが出来て、終には種々の喧しき問題が一度に湧いて来るのである。為政者たるものは、宜しく下情に通ずるを以て、急務とし、百般の施設は、之を骨子として具体化して進まねばならぬのである。素盞嗚尊は止むを得ずして、天下の為に大気津姫命を殺し玉ひ、食制の改良を以て第一義と為し玉うたのである。西郷南洲翁は、政とは、情の一字に帰すると断じ又孟子は、人に忍びざる心あれば茲に人の忍びざる政ありと云つて居る。然るに為政者は、果してこの心を以て、之に立脚して社会改良を企画しつつあるであらう乎。政治家なるものを見れば、徹頭徹尾、党閥本位であり、権力の闘争であり、利権の争奪である。斯の如き勢利のみに没頭せる人間に依つて組織され、運用される政治なるものは、因より国利民福と没交渉なるべきは、寧ろ当然であらうと思ふ。斯の如き世界の政治に支配されつつある国民が、不安の終極は、改造の叫びと成つて来るのは之も当然かも知れぬ。併し乍ら斯の如き肉食尊重、利己主義一遍の政治家を推選したる国民は全く自業自得にして、神界の戒めである。自ら火を採つてその手を焼いた様なものである。アヽ一日も早く皇祖の御遺訓と御事跡に鑑み、上下挙つて日本固有の美風良俗に還らねば、到底現代の不安、暗黒の社会を改良し、以て神国の一大使命を遂行する事は出来ないのである。先づ何よりも、大本神諭に示させ玉へるが如く、第一に肉食を廃し身魂を清めて、神に接するの道を開くを以て、社会改良の第一義とせねばならぬのであります。(大正九・一・一六 講演筆録 松村仙造)
肉食のみを滋養物として、神国固有の穀菜を度外する人間の性情は、日に月に惨酷性を帯び来り、終には生物一般に対する愛情を失ひ、利己主義となり、かつ獣欲益々旺盛となり、不倫不道徳の人非人となつてしまう。虎や狼や、獅子なぞの獰猛なるは常に動物を常食とするからである。牛馬や象の如くに、体躯は巨大なりと雖も、極めて温順なるは、生物を食はず、草食または穀食の影響である。故に肉食する人間の心情は、無慈悲にして、世人は死なうが、倒れやうが、凍て居らうが、そんな事には毫末も介意せない。只々自分のみの都合をはかり、食色の欲の外天理も、人道も、忠孝の大義も弁知せない様に成つて了ふのである。斯う云ふ人間が、日に月に殖ゑれば殖ゑる程、世界は一方に、不平不満を抱くものが出来て、終には種々の喧しき問題が一度に湧いて来るのである。為政者たるものは、宜しく下情に通ずるを以て、急務とし、百般の施設は、之を骨子として具体化して進まねばならぬのである。素盞嗚尊は止むを得ずして、天下の為に大気津姫命を殺し玉ひ、食制の改良を以て第一義と為し玉うたのである。西郷南洲翁は、政とは、情の一字に帰すると断じ又孟子は、人に忍びざる心あれば茲に人の忍びざる政ありと云つて居る。然るに為政者は、果してこの心を以て、之に立脚して社会改良を企画しつつあるであらう乎。政治家なるものを見れば、徹頭徹尾、党閥本位であり、権力の闘争であり、利権の争奪である。斯の如き勢利のみに没頭せる人間に依つて組織され、運用される政治なるものは、因より国利民福と没交渉なるべきは、寧ろ当然であらうと思ふ。斯の如き世界の政治に支配されつつある国民が、不安の終極は、改造の叫びと成つて来るのは之も当然かも知れぬ。併し乍ら斯の如き肉食尊重、利己主義一遍の政治家を推選したる国民は全く自業自得にして、神界の戒めである。自ら火を採つてその手を焼いた様なものである。アヽ一日も早く皇祖の御遺訓と御事跡に鑑み、上下挙つて日本固有の美風良俗に還らねば、到底現代の不安、暗黒の社会を改良し、以て神国の一大使命を遂行する事は出来ないのである。先づ何よりも、大本神諭に示させ玉へるが如く、第一に肉食を廃し身魂を清めて、神に接するの道を開くを以て、社会改良の第一義とせねばならぬのであります。(大正九・一・一六 講演筆録 松村仙造)
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