『夜の谷を行く』(桐生夏生)
(1)
『「彼女たち」の連合赤軍』(大塚英志)を読んだとき、あっと思ったことがあった。連合赤軍事件は僕には同時代の事件と呼んでいいものであり、深い衝撃を受けた。それで自分でも考えを重ね、論じたこともある。だが、よくわからないところが残ってきた。これは行為というか行為事実についてというよりは、そこに関与していた、心的部分が明瞭になりにくいからだ、と思えた。当事者たちは事件の善悪ということから自己を守る(自己防御)に追われていて、心的な部分を明るみにはできない必然的な制約にあると見た。それはそれでやむを得ないことに違いないのだが、当事者たちの手記にもう一つ納得出来ない部分を感じることにもなった。人は自分のやったことから自由にはなれないのだ。
大塚英志のこの本はその心的部分に踏み込んだ事件の分析(析出)であり、感ずるところも多かったが、それでもこの事件の渦中にあった人たちの心的(意識的)世界は違うと思えた。それも実感した・
連合赤軍事件についてその後も自分なりに考えてはきたのだけれど、納得の行く把握ができたとは思えないできたし、そういうものにも出会わなかった。
『夜の谷を行く』を読んでの最初に感じたのは、『「彼女たち」の連合赤軍』の時と似た感想だったが、その時のような、当事者の意識とは違うというところは薄らいだ。これは事件が経て来た歳月といいことなのか、それとも自分の心的な世界が変化したのか。あるいはこの作品が優れているためか。謎の解けない事件の解明という意味では久ぶりにこころを開かせてくれた作品である。
(2)
これは、かつて連合赤軍事件に参加し、山中で活動し、途中で山を降りた女性のその後を書いた小説である。主人公の西田啓子は架空の人物だが、連合赤軍事件に女兵士として参画し、その後6年間、服役し、今は市井でひっそり暮らしている。63歳で老境にも近づくが、妹との親戚付き合いを除けば世間との接触を意識的に絶っての生活である。かつてはなりわいとして塾を経営していたが、今はスポーツジムに通いながら暮らしている。「夕食に使った食器や鍋を洗い終わった西田啓子は、ふと気配を感じた」という巧みな冒頭からははじまっているが、彼女は冬の蜘蛛を発見すると、同時に、それは山の生活(連合赤軍の山岳ベースでのこと)を連想させる。彼女にとってはあの事件というか、行為はこころに深く残っている。彼女は事件のことを隠して生きているのだが、その事件のことは服役後にも、家族との葛藤として深く残ってきた。彼女は五歳下の妹の和子とその娘(姪の佳絵)とは一時は疎遠な関係になったことがあるが、仲直りし助けあって生きている。その和子も啓子が逮捕された時は「不祥事中の不祥事よ、恥ずかしく死んでしまいたい」と叫び、啓子が刑期を終えて出てきてもしばらく会おうとしなかった。いその後仲直りをしても、本心は許してはいなかった。それを啓子は薄々感じていている。父親は事件後、退職を余儀なくされ、彼女の服役中に肝硬変で亡くなった。母親も膵臓ガンでなくなり、伯母や叔母の家と義絶状態の中にあつた。連合赤軍事件の与えた衝撃の大きさだった。これは現在ではなかなか想像しにくいことだが、ここのところには重要な問題がある。
連合赤軍事件は山岳でのリンチ殺人事件が明るみにでることで多くの衝撃を与えた。当時の学生運動に参加していた人たちがそこから去っていった契機をなしたし、左翼的な部分からの批判も生んだ。まして、庶民にはそれは大きな衝撃的だったし、それは家族関係では親族などの義絶を結果させた。これは、連合赤軍事件が起こした事件(リンチという粛清事件)によるのか、それは当時の運動そのものに対してか。たまたま、事件の酷さが学生運動や当時の運動に対する批判や嫌悪を露呈させただけで、根は運動に対してあったのか。啓子が学生運動に参加するような先進的な学生であったことに、本来の批判があり、リンチ事件はそれを出すことを容易にしただけか。僕はここのところに大事なことが潜んでいるのだと考えてきた。啓子がこの事件の後(服役後)、ひっそりと暮らさざるを得なかったこと、そこで彼女が生を描いている中で、作者が啓子に寄せる視線にそこのところを感じて来たが、それがこの作品の感銘深いところである。
(3)
かつての仲間とも連絡をたち、誘いも絶ってきた彼女の元に、かつての仲間の熊谷という男から電話がかかってくる。それはあるフリーライター(古市洋造)が西田啓子の取材をしたいと言ってきているが、電話番号を教えていいかといことだった。この前後にはかつての連合赤軍の指導者の一人だった永田洋子の死とそのすぐ後に起こった3・11東日本大震災のことが挟まれている。これは世間との接触を断っていた彼女に心境の変化が兆す契機となっている。このころ和子の娘(佳絵)に結婚話があり、彼女の過去のことが繰り返される。和子は新聞で永田洋子の死を読んでいて、今更のように啓子からそれが表に出るのを案じ一切の取材は断ってくれと念をおす。佳絵やその結婚の相手に啓子が当時のことを話そうかというのだが、和子はそれでは「結婚」が流れるかもしれないと断る。隠されてきた事件のことはまだこのようにして和子や佳絵との関係の中で残っている。
彼女はやがてかつての恋人だった男や一緒に山を降りた佐紀子(君塚)とも会うことになるのだが、その前に山岳ベースでの生活のことが描かれる。彼女は赤軍系の活動家ではなく、革命左派と呼ばれた中国系(毛沢東思想系)に属していた。連合赤軍は武装蜂起派として赤軍派と革命左派が合体してできるが、彼女は革命左派にあり、永田洋子には可愛がられた、とある。革命左派には金子みちよや大槻節子等の女性活動家が多かった。特に金子みちよは妊娠をしていた。彼女は粛清されて、つまりは殺されるのだが、子供だけは取り出し生かそうとしたらしいこともあったと伝えられてきた。彼女の存在は特殊であったが、実は啓子も妊娠をしていた。
革命左派は中国革命の影響かもしれないが、闘争と生活を一体化する傾向を持っており、これが山岳ベースにも多くに女性を参加させる契機になったのだと推察する。山のコンミューン的な生活の中で子育ても構想していたみたいなことが少し、書かれているが、ここはよく分からない。これは中国革命では必然であったことが、基盤のないところで高層されただけで、現実性を持ったものではなかったと思えるからだ。
連合赤軍事件ならば、山岳ベースでの粛清事件のことが問題にされ、それはいろいろな場面で出てくる。彼女は佐紀子と二人で森恒夫と永田洋子が資金調達に山を降りたのを契機に荷物をまとめたとある。「捕まったら総括要求されるのだろうか、と思わなくもなかったが、もう同士の誰も、自分たちをわざわざ捕えないことはは分かっていた。リンチによって兵士の数も減っていたし、誰の心にもこれ以上山にいたら、全員が総括で死んでしまうかもしれない、という恐怖、いや諦観があった。諦観が生まれた時点で、全員が<敗北死>をしていたのだ」(『夜の谷を行く』)。
粛清劇の結末はこんなところだったのだと思う。ただ、僕が考えさせられたのは粛清も含め、山を降りる、ということが少ないことだった。総括劇、この矛盾ややり方に対して山から降りる、逃亡することが考えられて当たり前である。そうは行かなかったのは連合赤軍事件の謎であったが、これは共同的な存在や場所に人がある時、そこから離脱することが難しいこと、それが日本の共同的なものの大きな特徴でもあるということだと思ってきた。このことをあらためて確認したが、これは連合赤軍事件が残している大きな教訓の一つだ。これは僕らが、革命的な思想として何をもっているかとも根源に関わるものだ。自由とか、個人とか、人間の尊厳とかを根底に持たなければ、共同的なところから自由にはなれない、ということである。対抗できないということだ。戦争が日本人に与えた最大の教訓だったはずだが、戦後の革命思想でもそこは少しも変えられてはいなかった。諦観というのは興味をそそるが、考えてみたいところだと思った。
(4)
啓子には熊谷から男から電話がかかってくる。啓子は永田洋子の最後の様子を聞く。思わず聞いてしまったのだが、それは悲惨な最期だったと想像する。この電話のやり取りで啓子は熊谷からそろそろ、当時のことを語れと言われる。でも「殺すと言われても黙っていると答える」そして、その理由として、「言語化できないから」という。ここは大事なところだ。言語化できない、つまりは言葉かできないことは思想化できないことだが、僕らが連合赤軍事件のことを考える時、いつも出てくる思いだ。これは僕らが1960年代の事を語ろうとする時にいつもついて回ることでもある。こうした中で、啓子はかつての恋人だった久間伸郎と共に山を降りた佐紀子(君塚)の事も持ち出され、やがては彼等と会うことになる。久間とあった日には3・11東日本大震災に遭遇する。彼の話は、自分たちの間にいたとされる子供のことが問われるが、ここでは、彼女は否定し抜く。大震災にあって彼女は久間を自分のアパートにとめることになる。
彼女はまた君塚佐紀子と再会する。彼女は現在、藤川と名乗っている。彼女は今、下の名前もかえて藤川農園というのをやっていた。仲介してくれたのはフリーライターの古市である。そこで彼女は藤川のやっている三浦半島まで出かけて行く。彼女は農園の直売所の店番をしている日があり、そこを訪ねて行った。彼女たちの再会の場面はいろいろと印象深いのだが、彼女が宮城出身で今度の震災で母親が死んだらしい、と語るところが特にそうだった。弟の一家も死んだらしいけど、縁を切っているので旦那も子供も知らない。一切を思い出さずに行きたいとしてきたことだけど、罪み深いことだと述懐する。彼女は一切を忘れるという形で生きてきたのいだが、それはそれで連合赤軍事件の加わったことに対する代償なのだが、それに対するつけもあるのだ。ここで藤川と啓子が交わしている会話は興味深い。「我々は一線を超えた人間なのだ。人間が、時にとんでもなく残酷なことをしでかしてしまう生き物である、という線が明確であるとしたら、我々は皆でその線を超えたのだ」(前出)
僕はある作家が戦争とは人間を獣に変身させてしまうのだ、と述べていたのを思い出した。とんでもなく残酷なことをやるというのが戦争であり、共同観念(幻想)を介したときだという事になる。これは、啓子が言語化できないと話していることでもある。この中で金子みちよをめぐる話は、とりわけ、金子と啓子の話として想起しているところはすごいが、これは直接読んで欲しいところだ。最後に啓子は古市に会う。実は古市は啓子が服役中にひそかに産み、里子にした子供である。「……西田さんは、金子さんが子供と一緒に息絶えたことを後悔している。だから、自分が子供を持つこと自体を拒絶したんじゃないかと思ったのです」(前出)。この古市の言葉で啓子は長い間しまっておいた心の秘密から解放された。そして、希望という感情が生まれ、戸惑っている。ここには連合赤軍事件が何を殺したのか、それを乗り越えて行く何を生んだか、あるいはその可能性があったかを暗示している。いろいろと想像を働かせることができるところだ。
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