平成の天皇と出口王仁三郎聖師 (NO.4最終回)
天祥地瑞に示された天皇
松本氏は、出口聖師が「天皇に真正カリスマを期待し、天皇を変革の原理と捉えた」と述べているが、なかなかいいところを突いていると思う。
しかし、出口聖師が天皇に求めたのは、もっとスケールが大きい。天祥地瑞第七十八巻の序文にこうある。
日本(にっぽん)の天皇は宇宙絶対なるが故に、時至らば必ず宇宙を統一遊ばす御方(おんかた)である。国防などと謂う消極的なものでなく、所謂(いわゆる)破邪顕正(はじゃけんせい)の絶対的境地に御(お)立(た)ちにならなければならぬ。如何(いか)なる強国でも、横暴なれば押へ付けねばならぬ、如何なる小弱国と雖(いへど)も、正義であるなれば援(たす)けねばならぬ。全く造化の御心持(おんこゝろもち)で、宇宙を生成化育する事が日本天皇の御心持であらせられる。故に皇道は君と臣下と対立するものでなく、絶対唯一(ゆいつ)のものである。忠孝と謂っても、日本の忠孝は絶対の大忠大孝でなくてはならぬ。
〔天祥地瑞第七十八巻序文〕
これは、もはや国民統合の象徴たる人間天皇を指したものではない。文中の「日本の天皇」を「主神」に置き換えれば、まさに絶対的立場で宇宙の造化、生成化育に当たられ、そして、ものの善悪をただされる主神のご神格の教示、大本の神観そのものである。また、「臣下」を「人」に置き換えれば、神絶対で神人合一となるべき信仰のあり方を示したものに他ならない。
また、この天皇のあり方をストレートに受け取ると、天皇は主神でなければならないことになる。実際、霊界物語第六十八巻に、後に王となるスダルマン太子が主神の化身(註9)であることが示してある。
(註9)第六十八巻第二一章「祭政一致」皇神(すめかみ)の化身とあれますスダルマン
さらに、関連があるのが第十二巻の第二八章「三柱の貴子(みこ)」である。
今日(こんにち)は天照大御神の三代の日子番能邇々芸命(ひこほのににぎのみこと)が、どうも此(この)お国が治まらぬといふので天から大神の神勅を奉じて御降臨になつて、地球上をお治め遊ばして、さうして我皇室の御先祖となり、其(その)後(のち)万世一系に此国をお治めになつてあるのでありますが、それより以前に於きましては、古事記によりますると須佐之男神が此国を知召(しろしめ)されたといふことは前の大神の神勅を見ても明白な事実であります。
〔第十二巻第二八章「三柱の貴子」〕
つまり、本来、世を治めるのは現在の皇室ではなく、須佐之男神だということである。「明白な事実」というのは強い言葉である。
また、須佐之男神、つまり素盞嗚尊は主神のご神格であり、みろくの大神である。出口聖師は、そのみろくの大神下生のご顕現である。
先の第七十八巻序文の示す「天皇」は、実は「主神」だと述べたが、御霊(おみたま)が素盞嗚尊であり、みろくの大神下生のご顕現である出口聖師こそが、世を治める方ということにつながる。
そうすると白馬に乗られているのも、単に天皇を模したのではなく、本来の姿をみなに見せたということになる。
満州事変と出口聖師
また、前頁の写真のとおり、すでに入蒙時に聖師は白馬に乗っておられる。聖師はこの時点で本来の姿をみなに見せたのではないだろうか。
入蒙では、ご自身の救世主としての証しをみなに示して(註10)おられるが、救世主とは主神のご顕現に他ならない。つまり、白馬に乗られて本来の姿をみなに見せたということである。
ところで、昭和天皇が「一九二八年の張作霖爆殺事件や一九三一年の満州事変を起こした軍部は『下剋上』を行ったのであって、自分はどうすることもできなかった」と言ったと「拝謁記」にあるが、これらの事件も出口聖師と関わりが強い。
まず、爆殺された張作霖についてである。入蒙記にあるとおり、張作霖は廬占魁を使って内外蒙古を手中にしたい野望を持っていた(註11)が、「内外蒙古独立救援軍」(註12)の総帥となった出口聖師の人気が上がったことを嫌ったのであろう、聖師と同行の廬占魁を射殺し、聖師をも銃殺せんとした(註13)人物である。
次に満州事変である。満州国はこの事変があって建国に至っているが、出口聖師は「内外蒙古独立救援軍」の総帥として、満州国独立に向けて動いておられる。
さらに、実はもっと親密に、聖師は満州事変に関わっておられる。満州事変の柳条湖付近の満鉄線路爆破事件で、石原完爾関東軍参謀は爆破するかどうか迷っていたが、爆破を進めた強行派(註14)の一人、奉天憲兵隊長三谷清氏は大本の信者である。聖師から「大きな御用がある」(註15)と言われていたというのである。
このように、昭和天皇が「『下剋上』で自分はどうすることもできなかった」と言った張作霖爆殺事件や満州事変の陰に、本来世を治めるべき出口聖師が、大きく関わっておられたということである。主神のご経綸の奥深さを思う。
(註10)入蒙記第一五章「公爺府入」左の掌(てのひら)から釘の聖痕が現はれ、盛んに出血し
(註11)同第九章「司令公館」
(註12)同第二一章「索倫本営」
(註13)同第三四章「竜口の難」
(註14)「昭和史 1926→1945」七一・七二頁 半利一利著平凡社ライブラリー 今田新太郎や三谷清ら若い強行派の声が高く
(註15)「おほもと」誌昭和三三年四月号〔聖師さまと満州〕「あなたにはなお満州で大きな御用があるので、内地へは帰れません」
〔あとがき〕
私は、大本教学第十一号「特集・大本出現と世界平和」〔大本信徒連合会・平成二七年十二月八日発行〕に、次のことを書いている。
「みろくの大神さまが、あえて太平洋戦争へと突入する時期を選ばれたかのように昭和三年三月三日に下生されるのである」(三五頁)
「昭和十六年の太平洋戦争の型として大本は昭和十年に第二次弾圧を受けるが、聖師が神素盞嗚尊の「贖罪者」としてのお役を果たされた」
「日本は敗戦で武装解除となるのであるから、日本の型たる大本が弾圧されることによって日本が武装解除された」(三六頁)
「大本の弾圧の『犠牲』によって日本の軍備撤廃がなされた」
「昭和二十年八月十五日に日本の軍国主義が崩壊したからこそ、その年の十二月二十八日になってようやく、「対外的軍備を取り除く」(第六四巻上第五章「至聖団」)という聖師本来の教えを、吉岡温泉で外部に対してお伝えになられた」(三八頁)
つまり、出口聖師と顕現されたみろくの大神が贖罪者となられて日本の軍国主義を崩壊させ、「対外的軍備を取り除く」という御教えを歴史の中に刻み込まれたということである。
そうして、〔余録2〕で取り上げた満州事変と聖師のかかわりも、こうした大神の軍備撤廃のためのお仕組みの一環であると私は考える。
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