善と悪、美と醜 ④
善悪美醜は時所位によってかわる
ところで何が善で何が悪なのだろう。釈迦が八O歳で入滅するとき、修行者スバッダに「私は二九歳で善を求めて出家し、ここに五O年余となった」と語っている。
釈迦は三五歳で仏になったから、その後は善を求めて求道生活をする必要はないはずだ。にもかかわらず、仏となった以前も以後も、生涯かけて善とは何かを探究し続けたのはなぜなのか。
聖徳太子はこれについて、「修行の結果得られた善はあらかじめ果報を期待して得られたものだから、なんらの果報を求めず、ひたすら身に修めていこうとする善にくらべて逢かに劣るもの」と解釈
している。しかし釈迦の求めた善とはどんなものなのか、私にはよくわからない。なぜならば、善悪美醜は時所位によってかわるからだ
時所位とは、文字通り、時代と、場所と、その置かれている位置(立場) である。美醜でいえば、平安時代の美人が現代の美人として通用するかどうか、今日の美人なぞ万葉時代には顔をそむけられるかもしれない。時代によって美意識は移り変り、国によっても美醜の基準は違う。
中国では、昔は纏足(てんそく)といって、人為的に足の成長を止め、よたよた歩く小さな足が貴婦人の美だった。ホッテントットを持ち出すまでもなく、人種により、個人によっても美の好みは違う。
善悪もまた、時と所と位置によって逆転さえする。
宗 教、哲学、倫理学の立場からも、善悪の問題は常に追求されてきた。プラトン、カント、ショーペンハウアー、ニイチェと、それぞれの持つ善悪観は違う。キリスト教や仏教、神道、イスラム教などの説く善悪感も明確に違う。だから哲学や宗教の違いがまき起こす争いも、根強く絶えぬ。ヒンズー教徒は牛を食わず、イスラム教徒は豚を食わない。
また時代の要求が、その立場によって、善悪の判断を狂わせてゆく。たとえば太平洋戦争に突入した時、国民は聖戦と信じさせられて勇躍、戦場に向った。聖なる戦いは悪に勝つはずであった。今日では、戦争そのものに聖も善もない。お国のために一人でも多く敵兵を殺すことは忠義であり誇りであったが、今日では「一人の人間の命は地球より重し」といわれる。しかし現在戦っている中近東では、かつての臼本と同じ倫理が通用することであろう。
州によって法律が違うアメリカでは、国内でも善悪の碁準が分れるということだ。世界を見わたしても、ポルノ解禁の国もあれば、罪悪として罰する国もある。
・・・ただ何事も神の手に/任せまつるにしくはない/善悪同体この真理/胸に手を当てつらつらと/直日に見直し聞き直し/人の小さき智恵もちて/善悪正邪の標準が/分かろう道理のあるべきや/この世を造りし大神の/心に適いしことならば/いずれ至善の道となり/その御心に適わねば/すなわち悪の道となる/人の身にして同胞を/裁く権利は寸牽も/与えられない人の身は・・・
法律上の善悪
法律上の善悪というのは社会の運営には必要でも、心の内面の善悪とは一致しない。王仁三郎によれば、法律上の善とは「仮の善」で、最低の道徳を基本にしたもの。法律にそむかねば善かといえば決してそうではないし、法治国家の良民というわけでもない。
それについては『霊界物語』の中で村人と宗彦という宣伝使が語り合っている場面がある。王仁三郎の善悪観がよく出ていると思う。
「今の法律は行為の上の罪ばかりを罰して、精神上の罪を罰することはせないのですが、万一霊魂が罪を犯し、肉体が道具に使われてもやっぱりその肉体が罪人となるというのは、神界の上から見れば実に矛盾のはなはだしいものではありませんか」
「そこが人間ですよ。ともかく法律というものは人間相互の生活上、都合の悪いことはみな罪とするのですから。たとえ法律上の罪人となっても、神界においては結構な御用として褒めらるることもあり、法律上立派な行いだと認められていることが、神界において大罪悪と認められることもあるのです。それだから何ごとも神さまが現われてお裁き下さらぬことには、善と悪との立別けは人間の分際として絶対に公平にできるものではありません。
また人間の法律や国家の制裁カというものは、有限的のものであって、絶対的のものでない。浅間山が噴火して山林田畑を荒し、人家を倒し、桜島が爆発してあまたの人命を致損し、地震の鯰が躍動して山を海にし、海に山をこしらえ、家を焼き、人を殺し、財産をすっかり掠奪してしまっても、人間の作った法律で浅間山や地震や桜島を被告として訴えるところもなし、放りこむ刑務所もなし、裁判することもできぬようなもので、とうてい駄目です。ただ何事も神さまの大御心にまかすより仕方がありませんなあ」(『霊界物語』二O巻八章「心の鬼」)
法律は 世人を救うものでなし ただ罪人を罰するのみなり
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