神素盞嗚大神 PART ④

天の岩戸ごもり

高天原の神々は、天照大神に素盞鳴尊の従神たちの暴逆を訴える。だが天照大神は、誓約によって弟神の潔白が明らかになった今、激しく後悔されたであろう、だから今度は、しきりに弁護する。

「神殿に糞をしたといって騒ぐけれども、あれはきっと、酒に酔って何か吐き散らしたまでのことでしょう。田のあぜや溝をこわしたというのも、耕せば田となる土地をあぜや溝にしておくのは惜しいと

思つてのことでしょう。わが弟のしたことですから」

だがかばい切れぬ事件が起こった。

清めぬいた忌服屋(いみはたや)では、天照大神のもとで織女たちが神に捧げる御衣を織っていた。その時、御殿の棟がこわされて、その穴から火のかたまりのようなものが落ちてきた。逆はぎにはがれた天の斑馬(ふちこま)ではないか。逃げまどう織女たちの絶叫、梭(ひ)に陰上(ほと)をついて死ぬ織女。なんと、天井の穴からのぞき見ているのは、弟素盞鳴尊の髭面ではないか。

あまりのことに思慮を失った天照大神は、天の岩屋戸に閉じこもってしまう。これによって高天原は常闇の世となり、荒ぶる神々はここぞと騒ぎまわり、禍という禍はことごとに起こった。

天の斑馬(ふちこま)を逆はぎにはいで落としたのは、明らかに素盞鳴尊自身である。こればかりは、弁護の余地さえなさそうだ。それにしても、安河原の誓約(うけい)では確かにやさしい魂をもっ素盞鳴尊が、なぜわざわざ姉の面前で、そのような残虐行為に出たものか、その矛盾がひっかかってならない。これについては、王仁三郎はなぜか口をとざして語らぬ。代って私が推理しよう。

素盞鳴尊の従神たちの乱暴を神々が訴えた時、天照大神は弟神をかばい過ぎてしまった。厳然として天地の律法を守らねばならぬ高天原の主宰神が、天則違反を犯す天下の大罪人(部下の罪は主人の罪の意で)を、いとしい弟だからと見すごしてはならない。それは天地の神々へのしめしもつかず、律法は内側から崩れてゆこう。だからこそ父伊邪那岐尊は、涙を呑んで貴の子を追放されたものを。姉神がかばえぱかばうほど、素盞鳴尊は苦しんだであろう。姉神をその重大な過失から救い、従神たちの天つ罪をつぐなって、傷ついた律法の尊厳を守る手だては「部下の罪は私の罪だ。どうか私を罰Lて下さい」とまともに申し出ても、理性を失っている神は聞き入れまい。

素盞鳴尊のとるべき道は一つ。姉神の面前でのつぴきならぬ怒りを買うのだ。万神の激怒をわが身一神にふりかえて処罰させる。それしかないではないか。ところが天照大神はしょせんは女神。素盞鳴尊の深い志を察して罰を与えるゆとりすらなく、

天職も誇りも捨てて岩戸へこもってしまわれた。王仁三郎がこの事件について口ごもるのは、触れようとすれば非を皇室の祖神天照大神に重ねて帰せねばならない。

しかし王仁三郎は、天照大神と機について、重大なことを示唆している。

「ここで機を織るということは、世界の経論ということであります。経と緯との仕組をしていただいておったのであります。すると、この経綸を妨(さまた)げた。天の斑馬、暴れ馬の皮を逆はぎにして、上からどっと放したので、機を織っていた稚比売(わかひめ)の命は大変に驚いた。驚いた途端に竣に秀処(ほと)を刺して亡くなっておしまいになったのであります」(『霊界物語』一二巻二九章「子生の誓」)

単に血だらけの馬を落として驚かす単純な悪戯などではない。素盞鳴尊が天照大神の経輸を妨害したと、王仁三郎はいっている。もしそうであれば、まさしく素盞鳴尊は天下の大罪人である。が、も一つ底があるかも知れない。合せ鏡の元、天照大神の経論そのものが国祖の律法から見て間違っているとすれば・・・。

瑞御霊(みずみたま) 千座(ちくら)の置戸を負わせつつ 世人の犠牲と降りましけり

大本柏分苑

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