神素盞嗚大神 PART②
素盞鳴尊は救世主神
大本では、素盞鳴尊を瑞の御霊の救世主神であり、購い主として仰ぐ。これは明治政府の宗教政策により作為された皇室の祖神天照大神を仰ぐ、神道系宗教に見られない神観である。霊界物語では一巻から六巻まで、艮の金神国常立尊を主軸にして、神代が展開する。だが一五巻からは、完全に主軸が素盞鳴尊に移動するのである。
なぜ大本ばかりは、世間のいう悪神、崇り神を信仰するのか。出口直にかかった良の金神ばかりか、王仁三郎にかかる素盞鳴尊まで。
王仁三郎は、素盞鳴尊が犯した罪について、言霊学上から独特の解釈を示す。
悪盛んにして天に勝つ。地上神界ですら、すでに国祖の威霊は封ぜられ、天地の律法は名ばかりの世であった。伊邪那岐大神の神命を受けて素盞鳴尊が地に下った時、合せ鏡である現界は手がつけられぬばかりに乱れていた。もともと軽い清らかなものは天になり、重く濁ったものが沈んで積み重なり地を造った。その成り立ちから体的なのだ。当然、肉体を持つ地上人類の体的欲望は激しい。
霊的性能が体的性能に打ち克つための、すなわち霊主体従の素盞鳴尊の神教など、血を吐くほどに叫んでも、体主霊従に堕した人々には通じない。その心痛は「八拳須(やつかひげ)心の前に至るまで」泣くほどであった。治まる時には治めずとも治まるが、治まらぬ時にはどんな神が出ても治まらぬ。
父伊邪那岐大神のお咎めに対して、素盞鳴尊は一言の弁明もせず、地上人類の暴逆や不心得をも訴えず、罪を一身にかぶって引退する覚悟であった。咎める伊邪那岐大神も、貴のみ子の苦衷を察せられぬはずはない。しかし人類を傷つけまいとされる尊の誠をくみとられ、「いま、わが子一人に罰を与え罪人としたならば、人類も悪かったと気づいてくれよう」との悲願をこめ、涙をのんで追放される。
八束髭 わが胸先に垂るるまで 嘆き玉いぬ天地のために
素盞鳴の 神は地上を知らすべき 権威持たせり惟神にして
素盞鳴の 神の恵みに村肝の 心せまりて涙こぼるる
変性男子と変性女子
素盞鳴尊は地上を去るにあたり、姉天照大神に別れを告げるべく高天原へ上る。地上は統治者を失って、大変な騒ぎである。天照大神はその騒ぎに、弟神が高天原を奪りにくると疑い、もろもろの武備を整え、おたけび上げて待ち受ける。
「私に邪(きたな)い心はない。ただ事情を申し上げたいばかりに参ったのだ」と告げても、疑いはとけぬ。
素盞鳴尊の心の潔白を証明するために、天の安河原での誓約の神事を申し出る。天照大神は素盞鳴尊のもつ剣をとって三つに折り、天の真奈井にすすぎ、かみにかんで吐き出す息から三柱の女神が生まれた。素盞鳴尊が天照大神の髪や左右の手にまいた珠をとって同じくかんで吹き放つと、五柱の男神が生まれた。そこで天照大神は告げる。
「あとに生まれた五柱の男神は私のもっている珠から生まれたからわが子、先に生まれた三柱の女神は汝の剣から生まれたから汝の子である」
この御霊調べの結果、天照大神は五つ(厳)の男霊、すなわち厳(いづ)の御霊(みたま)であり、女体に男霊を宿すから変性男子。素盞鳴尊は三つ((瑞)の女霊、すなわち瑞の御霊であり、男体に女霊を宿すから変性女子と判明する。
変性男子、変性女子は大本独特の筆先用語であり、神界の都合で国常立尊、のちには男霊である天照大神の霊魂の湿る出口直を変性男子といい、逆に豊雲野尊や女霊である素盞鳴尊の霊魂を宿した王仁三郎を変性女子という。また直を厳の身魂、王仁三郎を瑞の身魂とも呼ぶ。
天照大神が素盞鳴尊の心を疑ったことについて、王仁三郎は述べる。
「元来、変性男子の霊性はお疑いが深いもので、わしの国を奪りにくる、あるいは自分の自由にするつもりであろう、こう御心配になったのであります。ちょうどこれに似たことが、明治二五年以来の
お筆先に非常にたくさん書いてあります。変性女子(王仁三郎)が高天原(綾部)へきて破壊してしまうといって、変性女子の行動に対して非常に圧迫を加えられる。また女子が大本全体を破壊してし
まうというようなことが、お筆先にあらわれております。・・・大本教祖(出口直)も変性男子の霊魂であって、やはり疑いが深いという点もあります」(『霊界物語』一二巻二九章「子生(みこうみ)の誓」)
王仁三郎は、皇室の祖神とされる天照大神を批判し、その対抗神である素盞鳴尊を愛の神として捉えている。善と悪とは相対的であり、一方を善とすれば、他方は悪となる。今日まで、皇室の祖神天照大神は善の象徴として考えられていたが、はたしてそうだろうか。
安河に 誓約の業を始めたる 厳と瑞との神ぞ尊き
八洲河の 誓約になれる真清水は 罪ちょう罪を洗い清める
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