大地の母 ④

「どうや、梅吉、上田吉松はんの家、婿を捜しとってんやが、お前、なる気はないけ」

 主人の斎藤庄兵衛から不意に縁談を持ち出され、膝小僧をそろえた佐野梅吉はきょろんとした顔色であった。

「上田はんも今は貧乏しとってやが、昔はたいしたこっちゃで。家柄かて立派なもんや。さっき、お宇能はんがお須賀に頼みに来やはってのう。」

「よい話やんかいさ。うちかて、近所の家を梅吉が継いでくれたら、気心知れた仲やし、なにかと便利やもん……」と、妻女の須賀が口をはさんだ。

 ――あんまりや。ぶす(不器量)やし、体かて弱いし、それに俺よりだいぶんと年上やんか。

 梅吉は、不満げに横を向いた。

「伏見の水で磨きをかけたせいか、えらい垢抜けしてのう、亀岡へ行ったおふやん(次女ふさ)も別嬪やったが、まだ一段と上や。気立てはよし、働き者やし、お前の嬶には過ぎたもんやがのう」

「え、誰と……」

「何を聞いとるのや。上田吉松の娘お世祢はんとやがな」

 梅吉はべそをかいたような顔になった。首筋までかっと熱くなった。鄙にはまれな、といっていい末娘世祢の美しさは、主人に聞かされるまでもなく知っている。二年前、伏見へ去った時、無念がる村の若い衆も多かった。梅吉もその一人だった。

 須賀は梅吉が不服とみたのか、突っけんどんな口調になった。

「お宇能はんに頼まれて、お前の気持ちを聞いてみたんやけど、別に無理にとは言いまへんで。あの娘なら、婿のなり手はなんぼでもあるさけ……」

 なぜ長女の賀るをおいて三女の世祢に婿をとるのか、そんな疑念など湧くひまがなかった。梅吉はあわてて首を横にふり、口ごもり、今度は縦に幾度もうなずいていた。

 佐野梅吉二十六歳。この穴太の地から三里北の川辺村字船岡、紺屋の次男坊である。兄弟八人、それぞれに身を固めるが、梅吉に限って十三の年に八木の角屋という醤油屋に丁稚にやられた。幼い頃からの癇癪もちで、すぐ前後の見さかいもなく喧嘩をする。懲戒の意味があった。だが角屋の主人は、梅吉の正直さ、律儀さを買って目をかけてくれた。時にはこらえようもなく癇癪がつのって朋輩と喧嘩することもあったが、まず大過なく十年の年期を勤め上げた。

 この斉藤家に奉公してからは二年、牛小屋の二階での一人暮らしであったが、そろそろ妻のほしい年であった。

 農閑期のうちにという理由で、挙式はむやみにいそがれた。年が明けて間なしであった。斉藤庄兵衛と妻女須賀が媒酌人となって、ひっそりと盃を交した。何故か重苦しい。はなやかな牡丹のような中の娘ふさが婚家先から帰ってきて三人姉妹がにぎにぎしく揃ったというのに。当然婿を迎えて家を継ぐものと思われていた賀るが、とうに婚期を逸した姿でこの席につらなっているのが、いかにも痛々しかった。座に居ても立ってもつらい立場であろう。

 花嫁は始終うつむいて、婿殿を見ようともせぬ。上の姉に気がねしとんのやろと梅吉は思った。

 田舎の野放図もなく飲み明かす披露宴のなかばで、花嫁は宇能に手をとられて幾度か席をたった。足もともおぼつかぬほど緊張しきっているのか、世祢の頬は蒼ざめ苦しげにさえ見えた。

 新婚生活という甘い雰囲気は、小百姓にははじめから望めない。長七畳・長八畳の二間に、義父母・義姉が雑居した。妻は従順であった。いじらしいばかり気を使う様子が察しられた。けれどどこかに距離を保っていた。日が浅いのだからと梅吉は思い直すが、世祢の身にまつわる孤独な淋しい陰は、日がたっても薄れない。

 義父は婿を得て気がゆるんだのか、枕につくことが多くなった。一家の責任はすべて梅吉の肩にのしかかった。上田家は俺が再興してみせると、梅吉は気おい立った。

 穴太では、上田・松本・斎藤・小島・丸山の五つの姓を御苗(五苗)といい、顔のよい家柄とされた。御苗以外の家柄を〝平〟と蔑視した。上田姓はさらに北上田・南上田・平上田にわかれる。梅吉のついだ上田家は、北上田であった。

大本柏分苑

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