大地の母 ③

「東京へお移りにならはる前の日に、伏見までお使いがこれを届けてくれはったん……」風呂敷をとき、母の前に押しやった。白綸子の、目をみはるばかりあでやかな小袖に見慣れぬ横見菊車の紋が一つ。それに……宇能は声をのんだ。錦の袋にくるまるのは、一振りの白木の短剣ではないか。

「これは、うちの守り刀にと……それにこの金子も……」

 美しい布地で作った巾着にも、小袖と同じ菊の定紋がある。世祢は小袖をすくい上げて胸に抱き、艶やかな絹の手ざわりに頬を染める。その小袖から、はらりとすべり落ちた物があった。吉松がひろって眺め、宇能に手渡す。字は苦手、というより、まったく文盲の父であった。粛として、宇能はそれを見つめる。

 見事な筆蹟が匂うような短冊であった。流れる文字に眼をあてて、のどにかすれる声で、宇能は読んだ。

わが恋は深山の奥の草なれや

茂さまされど知る人ぞなき

 裏を返して、あっと小さな叫びを上げた。印と花押の上に力強い筆致で記された御名を、宇能は知っている。宇能の叔父中村孝道は高名な言霊学者であり、女ながら、その素養の一端を受けついだ彼女であった。勤皇の志あつい叔父孝道から、幾度もその御名を聞かされていた。

 蛤御門の変により、その方は先帝のお咎めを受け、輪王寺の里坊に蟄居の身であられたことがある。そのころ、伏見の弟がその御不自由をお助けするためひそかにお出入りしているのを、宇能はそれとなく察してはいた。

 ――でも、その高貴なお方が田舎娘の世祢を……まさか……。

 信じられぬ惑いのうちから、宇能の脳裡に鮮烈に浮き上がる光景があった。

 昨年、即ち慶応四(一八六八)年の二月十五日、世祢に会いに伏見の弟の船宿を訪ねた翌日であった。京の町々は、錦旗節刀を受けて江戸へ進発する親王を見送らんとする人々で、異様な興奮にわき立っていた。御所宜秋門から下る街道の町なみは、ぎっしり人の波であった。湧き上がる横笛と大太鼓、小太鼓の音が、踊るように響き渡る。

  〽宮さん宮さん お馬の前に

   ひらひらするのは何じゃいな

   トコトンヤレトンヤレナ……

 街道は、人々の唱和する歌声にうずまった。長州萩藩士の品川弥二郎作詞、井上馨の愛人、祇園の君尾作曲の、この六番からなる、「都風流トコトンヤレ節」は、すでに出陣前から木版でばらまかれ、京の人々の愛唱歌であった。先頭をきるのは、周山に近い山国勤王隊の斥候銃隊。黒い筒袖の軍服に白鉢巻、白腹帯をしめ、赤い赭熊の毛を肩にたらして威風堂々。続く銃隊に守られて錦旗二旒、錦旗奉行二名が騎馬で行く。萌黄緞子十六葉菊の旗一旒。人々のざわめきは一瞬なりを静め、赤地錦の御馬標のもと、二十余名の幕僚、諸大夫を従えた大総督の宮を仰ぎ見た。

「ほんまに御立派どすなあ。見とみやす。あの若宮さまが官軍の総大将で江戸へ行かはる。西郷はんを参謀に連れとってどっせ」

 白鹿毛の馬上豊かに緋精好地の鎧直垂、烏帽子姿の凛々しい親王は、宇能の眼に眩しいばかりであった。思わず手を合わせ、拝していた。

 ――あの時のあのお方が、有栖川宮熾仁親王さまが世祢の子の父。

 宇能は絶句した。

大本柏分苑

大本柏分苑のホームページです。 5件のSNSがあります。 ①アメーバブログ ②フェイスブック ③TWITTER ④YOU TUBE ⑤ライブドアブログ 下記それぞれの画像をクリックして下さい。

0コメント

  • 1000 / 1000